下関駅のホームには、金子みすゞの詩が飾られています。
駅だけでなく、唐戸商店街や街中いたるところに詩であふれています。
下関駅と仙崎駅との間には、観光列車のみすゞ列車も走り、長門市仙崎には金子みすゞ記念館もあります。
感受性の豊かな方だなと詩を読むごとに感じます。
しかし、詩を読んで楽しむだけに終わらないのが弁護士脳。
みすゞさんの詩やお写真を見ると、「監護権」の3文字が浮かんできてしまいます。
というのも、伝記を読むと、当時別居していた夫に対し、離婚しても娘を手元で育てたいと伝えていたのに、夫が親権ゆえの監護権を主張し引き取りにいくと言われて、抵抗のために自殺をされたとのこと。
仙崎の記念館にも、この話が紹介されています。
旧民法では、そもそも婚姻中の親権者は父親であって、父親の単独親権です(民法877条1項本文)。母親にはありません。
だから、離婚したときの子どもの親権は父親となるのが基本です。
戦後の新民法で、父親と母親の共同親権を定め(民法818条1項)、離婚の際に父親と母親のどちらか一方を親権者に定めるということで母親が離婚後の親権をとることができうる(民法819条1項)のは、現在の憲法24条両性の平等の思想のおかげです。
旧民法の812条1項には「協議上ノ離婚ヲ為シタル者カ其協議ヲ以テ子ノ監護ヲ為スヘキ者ヲ定メサリシトキハ其監護ハ父ニ属ス」とあります。
これを、新民法766条1項「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者その他監護について必要な事項は、その協議で定める。協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、これを定める。」と比較すると、一目瞭然です。
旧民法では、親権は父親にあることを前提に、協議離婚をするときに子どもの監護権者(育てる人)について話し合いで決まらなければ、父親が監護権者になるということなのです。
話し合いなどできようのない夫婦関係だったら、自動的に父親が育てる人になってしまうという制度であり、実際は、父方の祖母や伯叔母、または父の次の妻である継母が育児作業を負担していたのでしょう。
いまや、新民法の時代になって70年にもなろうとし、イクメンも当たり前になってきた時代からみると隔世の感があります。